建築夜楽校2009第二夜

「データ・プロセス・ローカリティ―設計プロセスから地域のアイデンティティを考える」
第二夜 プロセスとローカリティーの関係について考える(五十嵐淳、家成俊勝、井出健一郎、古谷誠章鈴木謙介濱野智史藤村龍至
まず三人の基調講演をまとめる前に濱野さんから前回の整理。
目的を設定することなくいかにデータを効率よく積み上げていくことができるか。アナログとデジタルの議論は不毛である。そして妄想としてSimCITYからBIMCITYへ。集合知、開かれたBIMが建築家の新しい未来(いかにデータ収集をしていくか)を切り開くという。そして今回はローカリティというものがプロセスを制限する枠(図と地でいう地に相当する)として働いてくるのではないかと述べた。

パネリスト三人の講演


五十嵐淳
「ORDOS100」と「HOUSE OF EDEN」の二つのプロジェクトについて話された。先に藤村さんのよるまとめを言うと、場所なき場所にどう固有性を生み出して言ったかという話である。「ORDOS100」は建築家を100組集めてヴィラを建てるというプロジェクト。砂漠のような場所にどういった建築がありえるのか。そこでコンセプトとして環境、用途、資産をリニアに捉えていくという手法をとることで普遍性のある建築を目指した。環境という言葉が大嫌いと述べる五十嵐さんは状態をどう解くか、それがその地域のセオリにどう近づくかだと考える。それは前記したリニアに要素を捉えるということに還元していると思う。そして両プロジェクトでは風除室を再解釈し、バッファーゾーンを設けることにより、人間を守るという建築の根源的意味を説いた。(「ORDOS100」では立方体6面をすべてバッファーに、「HOUSE OF EDEN」では散りばめた空間をバッファーでつないだ)

家成俊勝(dot architects)
「NO.00」「ホヅプロ」「Latest NO.00」の三つのプロジェクトについての説明。「NO.00」は阪神淡路大震災で被害を受け更地となった場所に住宅を設計するプロジェクト。設計するにあたって、震災から立ち上がるインフラではなく住民のコミュニティの結び付きを強く感じたという。ここで三人で構成されるdot architectsだからこそできる「超並列」型のスタディを展開する。それぞれの役割を図面・模型・詳細の三つに分け、どの部分からも案を広げていく、つまり順番をフレキシビリティにし、この案はどれが先だったのか分からないというところまで詰めていくプロセスをとる。「ホヅプロ」は製材所の寝床を(四畳半)を学生とワークショップでつくるプロジェクトである。設計者の人数を増やし、より発想を並列させていると言える。「Latest NO.00」は「NO.00」でできた住宅にどんどん増改築をしていくという架空のプロジェクト。手を加える時のルールとして重要なのは、他人が作ったものにどんどん手を加えるということと、自分の作ったものに執着しない事だと言う。これは共同設計による創作をより客観的に進めていく方法論の代表であると同時に、「超並列」型スタディの可能性を示唆していると感じる。

井手健一郎さん(rhythmdesign)
自身を「翻訳者的建築家像」(余条件を読み解く、新しい起伏を見つけ出す)として捉え、「面検索的設計プロセス」(あらゆる可能性をやるだけやる)によって一般の人(クライアント)に分かりやすい形で伝えていく。「武雄の週末住宅」ではまず施主からバンガロー的な住宅であること、週末住宅として利用し、開放的なものであること、とにかくお風呂が大好きであることなどの条件を要求される。施主に分かりやすいように「トップライトをつける」「キッチンとお風呂が近い」など分かりやすいタグを付けてスタディ(模型)を重ね、決して「〜空間」のような曖昧な言い方はせず、事実を事実としてはっきりと記述していく。そうすることで施主をプロセスに介入していく。井出さんは自分の思考に興味はないという。そしてそのスタイルを正に具現化したプロセスが「面検索的設計プロセス」(施主が納得するまであらゆる可能性を示す)ではないかと思う。

ここで議論がスタートする。さて今回の議論としてはローカリティがどうプロセスと結びついていくのかであり、藤村さんはここでいうローカリティは単純な地域性ということではなく、政治的な意思決定プロセスを含んだ地域性ではないかと述べる。それはつまり巨大な公共建築をつくる時、どう合意形成を図っていくのか。井出さんの「武雄の週末住宅」ですら半年かけて意思疎通をした。それでは物理的制約もある建築がこれからどのようなプロセスで合意形成できるのか。と言った事がメインテーマである。
まず社会学者である鈴木さんからWebの設計では保守・運用、作った後どう作動していくかが重要であるという事が述べられ、それに対して濱野さんが建築にはどこかで切断しなければない物理的制約を受けるとその違いを示す。(切断について詳しくは思想地図vol3)その制約を受けるならばどこかで建築家は完成形を示す必要がある事自体が、合意形成をする上で非常に難しい問題として見えてくる。(すべての人が納得するのは無理であり、納得する必要は本当にあるのか)
そこで古谷さんの鶴の一声があった。(私は非常に感銘を受けた)一般的に建築はつくったもの(ハードウェア)とその後の利用(ソフトウェアの一部)によって終わってしまっていた。しかし建築は本来もっと柔軟なものであり、作り出した後も将来的に変更可能、建築はいつも工事中であるという事。つまり建築家はつくることが目的ではなく、いかにして使わせるかが目的、そうしてできたものは使う者によって変容していく事が可能であり、建築家はその枠組みをつくるのべきだと述べる。事後的な変容を認めるならばそれは正にWeb的プロセスとして建築を捉えていくことを可能にしている。分かりやすくいえば無制限の合意形成プロセスだと言える。
そしてここにローカリティの新しい捉え方が存在している。家成さんはローカリティをネットワークだと解釈し、ステークホルダーをそのまま持ち込むのではなく、ある原形(建築)を持ち込むことでそこに新たなステークホルダーを生み出すことができるのではないかと言う。とここまで言うと藤村さんの言う事後的なローカリティがここに発生しそうな予感は十分期待できる。今まで最大公約数的に設計され、場所なき場所を形成してきた郊外や地方の公共建築(ロードサイドショップ等)に対して一つの建築家の新しい立場が提示されたように思った。

さて私が今回の議論で注目したいのはやはり井出さんのプロセスの共有化であった。五十嵐さんが最後に、プロセスは事後的に表せばいいと述べていたが……(藤村さんはこれを字義通り受け止めるなと注意。五十嵐さんはプロセスを非常によく考えられている。しかしこれは時間の関係で最後まで議論されなかった。空間性を語るだけではクライアントに十分伝わらないと述べる藤村さんに対して、五十嵐さんの気持ちいいとか、居心地がよいとかいうのは、好みを超えたプリミティブな問題であり、それは伝わるとするスタンスの違いも面白いと思ったのだが非常に残念)私は少なくともプロセスそれ自体の価値ではなく、プロセスの共有化の意味は確立しているのではないかと思う。井出さんの「翻訳者的建築家像」に準えれば、プロセスを分かりやすく翻訳することで施主と対話する。施主が見えていない先を建築家が見せる。そしてまた施主から建築家に対して新しい提案がされる。ここにプロセスの本質が垣間見える。第一夜でプロセスにどのツールを使うかの議論は不毛だという所以もまたここに存在する。そして先述した古谷的建築解釈によってプロセスは建築へと昇華し、終わることのない地域との対話が続いていくことだろう。