見えがくれする都市

『現在、我々の住む都市はかつてない変貌を強いられている。
そして我々はややもすれば、こうした急激な世のさまの移りかわりに目を奪われて、
対症療法的に事を処そうとする場合が多い。
そのなかで、変わらないもの、変え難いものを発見し、理解することが、とりもなおさず、
変えなければならないこと、変えうることの真の理解に必要であることはいうまでもない。』
見えがくれする都市 槇文彦著 p202

「奥の思想」の章からの抜粋である。1980年に出版されたこの著書から30年が経とうとしている今、
対症療法以外で持続的に長期スパンで都市計画されたものがいくつあったであろうか。
槇文彦氏の手掛けた代官山ヒルサイドテラスは今でも理想的な開発として鎮座している。
残念ながら目に見える多くのものが、槇文彦氏が求める都市を見る目とは違う視点から捉えられ計画されてしまっているように思う。
「奥の思想」は空間のひだが重層された日本のみにおいて発見される数少ない現象の一つであると著者は言う。
そしてその空間形成の芯とも称するべきところに日本人は常に「奥」を想定している。
私自身「奥」という言葉は「奥床しい」といった形容詞に代表されるように、深く神秘的な不思議なイメージを想起させる言葉であり、
否定的な言葉が褒め言葉にも転換しうる日本の空間を表す代表として相応しいものであると感じる。
西欧の象徴(中心)に向かう物理的な求心性とは違い「奥」という概念は精神的な心の豊かさをもって語られるべき日本の都市の構成である。
「奥」は今、都市のより深くに埋まり、見えにくく、感じにくいのかもしれないが、
それをまた見つけるのも日本の「奥」という思想であるのだろう。

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