建築夜楽校2009第一夜

データとプロセスの関係について考える(中山英之、小嶋一浩、山梨智彦、難波和彦、江渡浩一郎、濱野智史藤村龍至
まずパネリストである三人の設計手法をまとめると


中山英之
思い付くシーンの断片を連続させ、実空間として立ち上げていく。思い付いたら2〜3秒でスケッチしていく行為はブックマークするという事に近く、全体のゴールイメージを設定せずあくまで部分を繋げて設計を進めていくという手法を取る。その理由として生活者も部分的なものの見方をしていて、建築とモノの差異を感じていないのだと述べる。

小嶋一浩
二つの事例についてそれぞれの設計手法を述べた。迫桜高校の設計では白黒設計図を集積回路のように組み立て、要素(教室、FLAなど)のレイヤ重ねていくという手法。また総合高校のカリキュラムという教育的要素、計画途中で敷地を半減させられる政治的要素、そして差し迫る設計期日と構造を成立のさせるための構法の選択(PCaPCを選択)という要素などプロセスの中には様々な事象も含むという事を述べた。
次にスペースブロックハノイモデルを取り上げる。ベーシックパターンを持つ二色(一色は透明)に分けられたスペースブロックによるスタディによって、多くの変数を扱うことができる。つまり普通の設計プロセスでは形態も自由であり、また設計期間も決まっているため、扱うパラメータは限られてくる。しかしスペースブロックを使う事によって、形態はそのブロックの組み合わせのみになり、様々な要素(プライバシー、熱環境、風通し)のスタディを効率よく膨大に行えるという事である。学生の情報収集と無期限の膨大なスタディによって成り立つこれは普通の事務所では無理で、藤村さんはそのプロセスをウェブ的手法と称す。

山梨知彦(日建設計
自身が「ヒューリスティック・アプローチ」と呼ぶその手法はBIMによる設計により、多くのパラメータを拾い上げることで、進化論的に発展していくプロセスだと言う。サイバースペースの中で一旦立ち上がり完成するBIMという手法。山梨氏はBIMを使う理由を「サボる」ためだと述べた。早くできるのであれば実際に模型を使ってもスタディを行う。

ここから議論が始まるのだが、まず中山さんと山梨さんの話を聞いて感じたのは、スケッチとBIMといった対極に位置するような手法のイメージが私の中で反転したことである。スケッチというのは(しかも部分的)抽象的なもので、BIMは即物的で具体的に空間を作っていくものだと思っていた。(もちろんそうとも言える)しかし実際にはBIMはパースを立ち上げたら勝手にサッシもドアも平面図や断面図も入り、それは容易に変更可能だといった「決めない」まま設計を進めていくことが可能なツールであり、一方中山さんのスケッチは確固たるシーンのイメージを決め、積み重なる事で進んでいくという点で、BIMの方があいまいさを包含しているのである。これは今回のプロセスの議論とは直接関係ないが一応ここに書き留めておく。

この議論の意図する背景にはリアルとバーチャル、固有性と効率化、アトリエと組織、さいては人間とコンピュータといった二項対立関係を打破するためにはどうしたらよいかということであり、それには「効率よく固有性を獲得する」しかないと藤村さんは言う。質問としては濱野さんのBIMをつくる人が偉いではないか、集合知による設計(進化論的)であるならば建築家は要るのかといった事がテーマである。
答えとして山梨氏はperfume中田ヤスタカに準えた。(中田ヤスタカボコーダー(建築でいうBIM)をどう使うか、中田ヤスタカの作家性は確かにそこにあるという事。また難波さんはそれとは少し違う意見でperfumeも彼女であるからこそ売れたという)つまり集合的意思決定などで設計が進むとしても建築家の作家性が現れるのは使い方のところでありより高次元であるといえる。BIMは確かに素人でも扱えるような簡単な機構にもなってはいるが、そのツールの良さとは無関係に質は決まる。山梨さんというスペシャリストが使うことに意味がある。最近の分かりやすい例で言えば展示にもなっていた徳山知永さんのCADプログラムを石上純也という建築家がそれでどうスタディするのかという問題である。とここまで言えばツールはツールでしかなくそれ以上の意味を持ちうることは希薄に思う。
スケッチ、模型、BIMどれを使うかといった議論は不毛であり、また江渡さんが最後にrubyというプログラミング言語を日本人が開発したものだが(それまではプログラミング言語は海外から来るものだと思われていた)使いやすかったため使われるようになり、それとBIMは同じで、他に使いやすいものが出てくれば取って代わるものだと述べた。
難波さんも指摘していたが、中山さんが住宅「2004」を設計した時にクローバーというデータ(敷地にクローバーが生えていてそれを足がかりに設計をスタートした)を拾った時に既に固有性が生じているのである。そしてそのいきなりのジャンプこそ人間にできてコンピュータにできないことであると難波さんは述べる。
コツコツとデータを集めログを取り設計としての完成度を上げていくのがコンピュータ、Web的プロセスの得意とするところならば、人間はそのジャンプにこそ固有性を見出すことができる。また小嶋さんがどれだけ素晴らしいものを知っているか、経験している事が建築教育の果たす役割であるというのにも頷ける。知らなければジャンプできない、個人では想像の限界があり、その限界の先を建築家が見せてあげることができる、そしてそれは直感とは違うと藤村さんも述べたように私も同感である。
以上発言が繋がるように時系列を少し入れ替えてまとめた。プロセスそのものの議論は第二夜へと続いていく。

(藤村さんがアルゴリズムを設計するのではなく、人をアルゴリズミックに動かす設計が可能で、それは驚くほど単純で形式的なルールによって成り立つと述べたところで私は青木淳動線体の概念を思い出した。動線体についてはコチラで少し書いた。ある無関係なルールがオーバードライブして空間が成り立ち、人が動くことによって空間が生成されるといったような内容である)