見えがくれする都市

単純な「図」と「地」では表わすことのできないような、白でも黒でもない中間的領域が日本には数多く存在している。西欧のように建物を前面まで押出し境界を明確に図示するのではなく、日本の町の表層は不明確であり、「すき間」、そして「奥」といった概念で表わされるような空間によって形作られている。それゆえ日本の都市は複雑化し、中心性を持つことのない多焦点のまちとして今日の姿を表している。
混沌、カオティックな都市東京。この最も一般的なイメージの形成過程を追ってみると、都市の中に見えがくれする日本的なる要素(奥)を発見することができる。
最初に道の構図の分析において、日本の道はその地形的条件が決定権を担っている場合が多く、小さな街路パターンの集積であることを江戸の道の歴史を追うことで示している。またその特性として求心的パターンを持つことなく、まるで陣取り式の空間分割のようであると述べ、東京麻布の道と集落の道の相同性から、都市は巨大な村落ではないかと推察している。私はこの言及に対して都市のフラクタル性というものを垣間見たような気がした。西欧の都市のように区画整備された美しさを持つ都市構造というのは、非自然的であり人工的である。一方日本の都市のでき方というのは、地理的条件に依存し、逆らうことなく発展していったと考えるならばそれは自然物であり、フラクタル性を持つのは当然の結果であると言える。日本の都市は生物のように生長し、複雑の中にもフラクタルな構造を孕んでいったのではないか。
次に「微地形」と「場所性」についての考察であるが、日本という国は伝統的に場所や自然を重んじ、自然崇拝、風水的都市計画などが歴史的にされていたことを考えれば、それによって道、都市が歪められるといったようなことは理解に容易いのであろう。しかし現在では林立するビルによって、対象物としての自然は見えなくなり混沌とした道だけが残っているといった状況であるのは実に残念なことである。神体山として山を崇めることは、深い緑の中「奥」へと誘い込む、経路的なヒエラルキーをもつ空間構成を生み出したのである。
第4章まちの表層では、住宅地の表層を、町家型、お屋敷型、裏長屋型、郊外住宅型の4つのタイプに分けて解説し、更にこの4つに共通するのは「薄い平面」と「すき間」であることを述べ、これが西欧との街並みの違いであることに触れている。日本は単純な一次面の連なりということはなく、必ずと言っていいほど、垣根や塀、そして「すき間」を含んでいる。それが日本的で良いまちを生み出しているはっきりと結論付けたいのは、筆者も私もきっと同様な気持ちなのであろうが、現状を見るとそうはいかないのだろう。しかしこの歴史的経緯を考えることで、少しだけ自分の家というものに誇りを感じることができるのではないのだろうか。
そして最後に「奥の思想」である。これまで述べてきたことを総合すれば、いかに日本には「奥」、「間」、「すき間」といった言葉で表わされる中間的領域が伝統として息づいてきたかは容易に想像できる。「奥」という概念は、物理的な空間距離を表すには留まらず、日本人の精神的支柱にもなりえた。
「我々の住む都市はかつてない変貌を強いられている。そして我々はややもすれば、こうした急激な世の様の移りかわりに目を奪われて、対症療法的に事を処そうとする場合が多い。その中で、変わらないもの、変え難いものを発見し、理解することが、取りもなおさず、変えなければならならいこと、変えうることの真の理解に必要であることはいうまでもない」というのはこの最後の章からの引用であり、私はこの変わらないものの一つとして「奥」という概念を刻み、これからも私たちが都市を構築していく上での基盤となるものを、一つでも多く模索していきたいと感じるのである。