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最近久しぶりにピアノを弾いてみたが案の定指が動かないものだ。
10年以上続けて、手に入れたスキルであったから、弾けなくなっていたということはショックだった。
とは言っても全く弾けないわけではないけど。
できていたことができなくなるというのは悲しいことである。
そもそも何故弾かなくなったかといえば必要がなくなったからである。
現在建築を学んでいるけど、とてつもなく忙しくて(誇張)、やることもたくさんある(これは本当だけどやっているかどうかは別)
そんな中でいつしか心のゆとりが消えて、弾くことを止めてしまった。プラグマティックに物事を考える方であるから尚更弾かなくなった。
建築でも現在伝統的な寺社建築を造る宮大工の技術の継承者が減少してきている。そして一方で新しい建築が生産される。
大学の教育の中でも木造建築に触れる機会も少なくなってきているというし、出される課題は殆ど木造では解かない。
自分に必要のない事と同じで、社会において必要のない事も失われていく。思っている以上に冷酷に。
ピアノは一日弾かないと元の状態に戻すのに一週間かかるなどとピアニストは言う。
継承されることと、最初から始めるのでは大きく違う。断絶された後の復興は難しい。
そっと自分の内に閉じこもっていると、一方では大切なものが徐々に悲鳴をあげて崩れ去っているのかもしれない。