先日、南洋堂の洋書セールに行き本を数冊買ったのだけれど、暑さと遠い帰路を考えるとこの重さを背負いながら帰るのは辛かった。重いというのは紙媒体の弱点であると感じた。

最近電子書籍であったり、携帯小説だったりが流行し始めその存在が希薄になると言われている実体としての本であるが、まだまだ等分先の様子ではある。

電子書籍に比べて、本が優位な点は何だろうと考えてみると……


・永久性(電子データではないので消失しない。現に遥か昔の書物も読める。知識は必要……)
・大きさ、全体として見渡せる(今のところ電子書籍は画面が小さく読みづらい。目も疲れるだろう。俯瞰して全体を見渡せるのは大切だと感じる。)
・一つ一つのデザイン性、紙の種類。(これは気にしない人は居るだろうが、気にする人は装丁がお気に入りという事もあるから)
・実体として存在している(電子書籍を読むには、何らかの電子デバイスが必要)
とまぁ挙げていけばまだまだあるかもしれない。書き込みができない等…(しかしこれはすぐできるようになる気がする。が、算数ドリルなどは不可だろうか。きっとやり辛い。)

私に関して言えばニュース情報などの一時的なものは電子媒体で読むという感じにはなっているなと思う。一般的にも定着している気もする。だが、未だに通勤電車の中では新聞を持ったサラリーマンの多い事か……

しかしながらホログラムのようにして本を表示させ読むなんていうことが将来ありえたとしたら、割と以上の電子書籍のデメリットは減るだろう。『電脳コイル』でいう「電脳メガネ」をかけることによって達成するのか、『攻殻機動隊』のように電脳化によって目に直接的に情報を送ってなしえるのかはわからないが。『攻殻機動隊』の世界観は2030年くらいであったからそれほど遠い未来ではない。しかしその世界であっても、紙媒体への執着をみせている者もいる。

そういった技術が可能となってくると建築も箱さえ造れば後は疑似体験的に空間を視覚に表示させて楽しむようなことになるのだろうか。『攻殻機動隊』の中でもプールのある室内の壁面を南国リゾート風の背景にして楽しんでいる姿がうかがえる。

所謂ギミックのようなもので空間を楽しむことの最上級といったところだろうか。
しかしそれはあくまで視覚的な体験であり、決して触れたり匂いを感じ取ったりはできないのが弱点ではある。

デジタル技術の発達によって建築の多様なあり方が模索されている現在、(アルゴリズム、BIMを使った設計又は設計プロセス等)
その進んだ先に待っているのはただの「箱」でしかない建築だとしたら、なんと悲しい事だろうと感じるが。

攻殻機動隊 (1)    KCデラックス

攻殻機動隊 (1) KCデラックス

電脳コイル〈1〉 (トクマ・ノベルズedge)

電脳コイル〈1〉 (トクマ・ノベルズedge)