建築の七つの力

『町の光景を感傷的に眺めているだけでは何も現実的な力とはならないが、
町を感性溢れたみずみずしい目で眺めることのない人は、それ以上に何も期待できない人たちだ』
 〜建築の七つの力 鈴木博之著 P148より〜


もう一度自分の住んでいる町を見直してみようかと思うとても原初的な言葉であると思う。
私の中で良い言葉というのには今まで気付かなかった全くの新しい概念を与えてくれるものと、
忘れかけていた当たり前の気持ちを素直に説いてくれるものとある。
もちろんこの言葉は後者にあたるだろう。
理想を遠くに求めてしまってはいないか?自分の周りには良い街並みがないと言い切れるのか?と心の内に響いてくる。
再び外に目を向けるといつもとは違ったまちを切り取れるかもしれないと感じさせてくれる。
設計に望む態度として常に心掛けたいと思う言葉である。

建築の七つの力

建築の七つの力

超主観的建築のための書店案内

建築の本が売っている主な東京界隈の書店を紹介します。普通に紹介してもあまりつまらないと思い語り口を多少変えてみましたが、読みづらい、普通の文体にしてくれ、もっと真面目に紹介してくれなどの要望はコメント等にて受け付けます。徐々に増やしていきたいと思っています。

○評価基準について
新刊書と古本を取り扱う書店について分けて評価軸を設定しています。(*あくまで建築の本が多いとか少ないとかです)
古本屋にしては多いとか、新刊書を取り扱う書店にしては少ないとかその程度の事ですが……同じ評価軸にしてしまったらもちろん大型書店がその冊数は多いですからね。
例えば古本屋★★★≠新刊書店★★★です。(総本=全体的な建築本の冊数、和書=建築和書の冊数、洋書=建築洋書の冊数、総合=総合評価。店内の快適性も含めた全体的な評価。なお古本屋については総本数のみの評価です)
評価は生ものです。私の主観ですので変わっていきます。


東京駅近辺
八重洲ブックセンター《新刊書》
総本 ★★★★
和書 ★★★★
洋書 ★★★
総合 ★★★★

東京駅八重洲南口を出るとその姿を現す書店です。これがかの有名な八重洲ブックセンターであると同時に建築の本の数の期待値も高いでしょうか。しかし店内に入ってみると何と建築の書棚は七階にあることに気づき間もなくエスカレータも四階までしか動いていないことに戦慄を覚えます。そして頼みの綱のEV、しかも1階から4階まではノンストップの高速EVではないではないか、これで助かったと思った瞬間その運転効率の微妙な遅さにがっかりしたりしなかったりします。ここまで建築の話ではあるがその本質的部分には一切触れていませんしこれではYBCの良さはないのではないかと一瞬の懐疑の念を抱くことでしょう……しかし七階に上がった瞬間見えたのは建築コーナーに付随して付けられたかのようにあるオアシス、そう八重洲ラウンジです。それは普通書店において座って選書するなど言語道断贅沢過ぎるといった概念を覆すような珠玉の空間であり、そのオアシスと呼んだ名の通り冷水と常温水が飲み放題というまさに建築を学んでいて良かった、他のフロアじゃなくて良かったと思わせる空間となっていることは間違いないでしょう。(ただし、日時を見誤ると混んでいます。おススメは平日)本の書数は申し分なく雑誌のバックナンバーも充実し鹿島出版会だけの書棚(SD選書など)もあります。

丸善 丸の内本店《新刊書》
総本 ★★★★
和書 ★★★★
洋書 ???<調査中。多分少ないです。>
総合 ★★★★

山手線からその全貌が窺え東京駅丸の内北口を出るとすぐ、八重洲ブックセンターと対角線上に位置するオアゾの中、高級感漂わせる店構え、これは入っていいのかしらんと思いつつも、最高級の持成しを受けるに違いないであろうと夢を膨らませ恐る恐る入店してみると、そこには眩いほど広々した店内が存在しているのです。エスカレータでスイスイと三階へ上るとそこには美術・デザイン、各種文庫、PC関連といった書籍が建築と同一平面上のフラットな空間において享受でき、その「Book Museum」というコンセプトを見事に全うしています。ただし建築書籍は十二分にあるのですが、書棚が高いために上方の本は脚立を使わなければならないという苦行を強いられますが、しかし元よりこれは書籍数が多いという事を明示しているに他ならないのであり、何ら文句の付けようがありません。

INAXブックギャラリー《新刊書》
総本 ★★★
和書 ★★★
洋書 ★★
総合 ★★★

銀座中央通りをテクテクと東京駅方面へ向かうと建築関係者なら必ずやその興味を惹かれるINAXの青い看板に出会い、そしてふと近づいてみるとギャラリーと本屋が同時に存在している事実に驚愕し、夢のような空間へと誘われるのです。INAX出版の書籍はもちろんインテリア、デザイン関連書の凝縮された空間は銀座のサラリーマンやOLを虜にしてやまず、元よりギャラリーの多いこの界隈をより格調高いものにしています。(ギャラリーエントランスがまた非常にその夢空間を表現しているのです)



神保町

明倫館《古本》
総本数★★★★

入口からすぐ見える、回り込むように下階へと繋ぐ階段を降ります。(ここで注意:稀にみる原広司に憧れた、またはそうでなくとも数学物理が大好き、そして英語が話せる偉人たるや否やは1階も存分に楽しむことができるでしょう。)降りる途中に見える平積みにされた建築の本を見るだけで既に興奮するに値します。降りて棚を除くとそのラインナップは実に豊富であるだけでなく名著の多さ、見事に値段設定された本の数々に驚愕しつつ何故今まで新品を買っていたのだろうと自責の念に苛まれます。(またHPを一見すればそのネット販売の充実ぶりにも感嘆の声を出す事でしょう)

村山書店《古本》
総本数★★★

古書は安いけど本の状態が悪くて気になる……読書意欲の減退……そんな時、村山書店の存在が非常に大切です。店外の書棚も魅力的なのですが、注目すべきは店内の良書の多さ。大きな値引きはされていない物も多いがそれでもその状態の良さと、新書を買うという怠慢行為に比べてはるかに価値のある高尚な買物であることに間違いなく、そしてもし超特価値引き品を見つけた時は、もはや設計課題を終えた時のそれと同等、いやそれ以上の歓喜と感動を味わうことでしょう。(名著が眠っています。確認する限り、太田博太郎の日本建築史序説。レイナー・バンハムの第一機械時代の理論とデザインなど……2009年8月現在)

悠久堂書店《古本》
総本数★

店内にある美術カタログの多さに感嘆の声を上げながらも、ではもしかしたら建築の本も多いのではないかとその期待は大でありますが、そんなに多くありません。図版系の建築本、そしてバウハウス関係の本がちらほら伺えますがそれほど多くないので悪しからず……がしかし、建築に携わっていながらにしてまさか美術に興味がない、建築以外の芸術に興味がないといった人は皆無でありむしろ興味がありすぎてそちら関係に進んでしまう人も居るくらいであるからにしてこの美術カタログの多さ安さに満足感を得られずにはいられないのです。

小宮山書店《古本》
総本数★★

建築・美術本が2階になったという感動は以前から小宮山書店を利用していなければ味わえない感動であると同時に、建築に関係の深い、美術・写真・哲学・歴史などの知識を一緒に会得する必要性に駆られているといったような人はまず小宮山書店です。2階の建築書数はそこまで多くはないものの、一見する価値は十分に存在し、他の美術書とのリンク率は高いものになっているでしょう。

ボヘミアンズ・ギルド《古本》
総本数★★

これは芸術の匂いがするぞ、ともすると建築の匂いがするぞと感じさせる店名に誘われ、導かれそして入店すると、その期待をものの見事に全うしてくれるのです。建築書籍の数は月並みであるけれど、二階のブックギャラリーの存在が一際人々を魅了し続けています。(ネット購入も可)

源喜堂《古本》
総本数★★★

手に取らずして本の値段が分かるなんて言う奇妙奇天烈な現象が従前に存在したはずもなく、そこらの均一セールは分かるじゃあないかと言えばそうなのだけれど、それが懇切丁寧なものかと言われたらそうではないと感じる程度のものではなく、この源喜堂の値段の見せ方の丁寧さといったら他書店には空前絶後の事象であること間違いありません。更に洋書は欲しいが英語が読めず、果たしてこの本は一体何の建築なのだろうと思うことここにはあらず、その本の内容まで一瞥しただけで判断できるのであるから素晴らしいです。洋書や図版が多いですが、他の建築和書も多かれ少なかれ並んでいます。(ネット購入も可)

南洋堂書店《古本》《新刊書》
総本 ★★★★★
和書 ★★★★★
洋書 ★★★★★
総合 ★★★★★

本日は優雅に散策している時間がなく目的物を一軒目で入手したい、元より建築書籍の全てを知りたいなどという壮大な願望を持つ者が一目散に駆け込んでくる、建築本の宝庫、字義通りの総本山です。建築書籍だけで埋め尽くされた三フロアを見て動悸を起こすこと必至、建築の知の集積がここに存在しています。一、二階が和書、そして三階の洋書コーナでは時折洋書セールが開催されるのですが、その内容はブログで紹介する事多く、見逃した時のショックは想像するだけで戦慄と恐怖、もはやチェックを欠かすことはできないのです。ここで一つ注意を促すとしたら、外観のファサードの異様な重厚感とガラス面に心奪われ、足元にある格安書籍の籠の中見を一見もしないのは一世一代の大馬鹿野郎であること間違いないということでしょうか。私の知人は「西洋建築様式史:美術出版社」を二百円で手に入れるという偉業を成し遂げました。

三省堂 神保町本店《新刊書》
総本 ★★★★
和書 ★★★
洋書 ???<調査中 凡そ多くはありません>
総合 ★★★

神保町に来ておきながら、大型書店とは何と外道ななどと思っている人は黙殺してしまい、とっとと中へ入りましょう。さすが三省堂と思わせる品揃え、話題書を逃がさない配架の仕方、南洋堂との併用によってもはや手に入らない書籍は皆無と言っていい程の満足感を得ることができます。



その他
GA Gallery BOOKSHOP《新刊書》
総本 ★★★
和書 ★★★
洋書 ★★★★★
総合 ★★★★

副都心線北参道駅はまさにGA Galleryのためにできたのだと発狂する人はさて置いて、この建築関係者御用達のギャラリー、とは言っても所詮ギャラリーに付随してあるもの、書籍数はそんなに期待できませんなんてとんでもない、その建築洋書(海外雑誌など)の数はあの天下の南洋堂に迫る様相を呈しています。得てして私はギャラリーを鑑賞しに来たのかそれとも書籍を買いに来たのかと錯乱し、寧ろその書籍に満足して帰ることが多いことでしょう。

ギャラリー間《新刊書》
総本 ★★★
和書 ★★★★
洋書 ★★★
総合 ★★★★

建築関係者の間では国立新美術館サントリー美術館森美術館の織り成すアート・トライアングルではなくこのギャラリー間を加えてアート・スクウェアなんて呼称が付いていたりいなかったりします。(多分付いていません)そこにはTOTOの持つギャラリーとそしてブックショップが存在し、その品揃えも実に多彩なのであり、その効用はやはりGA Gallery、INAX Galleryと同様、またはそれ以上なのです。

紀伊国屋 新宿本店《新刊書》
総本 ★★★★
和書 ★★★★
洋書 ★★★
総合 ★★★
前川國男?本当に前川國男氏なのかと疑い、ならば行くしかないだろうと決意を固める建築学生が何人居た事でしょう、そしてエレベータガールの存在に何人が驚いた事でしょうか。しかしながら建築フロアに行くのに、行きはエスカレータがあるものの、帰りは少し混んだEVを使うことに少しの抵抗を覚えますが、品揃えはやはり申し分なく揃っているのです。

ジュンク堂 池袋本店《新刊書》
総本 ★★★★
和書 ★★★★ 
洋書 ★★★
総合 ★★★★
一階に集積する合理的に造られたレジ・カウンターを最終目標に掲げながら七階の建築フロアへ行きます。そしてその本棚を一瞥した時に、かつてこれほどまでに建築家別に丁寧に配架されていた事があっただろうかと、目を、そして自分を疑うのみにあらず、得てしてこれが最も分かりやすい配架方法なのではないかと関心するばかりなのです。建築家トランプが売っています。


オマケ ミュージアムショップや個人的に好きな店舗など(評価はしません。基本的に新刊です。建築の人は少なからず興味があると思いますので……)

オンサンデーズ on Sundaysワタリウム美術館内)
構成主義バウハウスなどと分類されている書店を嘗て見た事があったでしょうか、否、その天井まで伸びる棚のダイナミズムがもはや分類を超えて強襲してくるのです。カフェ併設により店名の如く日曜日を優雅に過ごすことができます。

NADiff a/p/a/r/t
表参道時代から親しみのある人はその閉店から恵比寿での開店までの間、発狂寸前の面持ちで待っていたことでしょうアート・ショップの総本山です。
『NADiff a/p/a/r/t』以外にもミュージアムショップとして組み込まれていたり、東京には全部で六店舗あります。詳しくはコチラ

青山ブックセンター 六本木店
青山にある本店ではなく六本木店に拘る理由といえばデザイン関連書籍の濃縮さにあるのです。大きな店舗は品揃えが良い、何でも揃うから良いなどいう怠慢な概念を覆すような店内の洗練さと配架位置の素晴らしさは一見の価値ありです。

Webと建築そしてプロセス〜ARCHITECT/TOKYO/2009〜

TOMIO KOYAMA GALLREYで行われている『建築以前、建築以後』とhiromiyoshiiの『生成の世代〜generation of generativity〜』、そしてTaka Ishii Galleryの『平田晃久Akihisa Hirata"Flame flame"』へ訪れた。この三つの展示は同じ建物内で行われ、互いに独立した展示内容になっているものの、『ARCHITECT/TOKYO/2009』という大きな表題のついた六つのギャラリーによる同時多発的展示の中の三つとして位置づけられている。
大きな括りとしては共通のテーマを見出しながら、個々としては独自のコンセプトに基づいて展示を行うという現象は、まるでWeb空間のように機能しているかのようだ。「建築」というキーワードがあって、その中に展示会を総括、説明しているサイト(これがGYREでの展示内容:ARCHITECT JAPAN 2009に相当するように思う)が存在し、そこから更に、それぞれのリンク先に飛ぶことができるといったような空間体験を実世界において行うと、今回のような展示祭になるのではないだろうか。
そして今回訪れた三つのギャラリーの入る同建物では、絵画や芸術作品を展示している他のギャラリーも存在し、またその三つのギャラリーでさえも他の芸術作品を展示している。それはネットサーフィンをしているかのように、最初の目的は「建築」というキーワードに関するものを観ていたハズなのに、あるリンク先をクリックしていくと、いつの間にか「建築」とは直接的に関係のないサイトを観ているという感覚に近いと言える。そしてまた「建築」戻っていくような……。ある目的の中に、目的とは直接関係の希薄な対象物を混入させ目的を変化させていくという手法は、商業的手法のように思えるが、ギャラリーによる鑑賞する者にとって無償な展示において有効であると思う。そういった関係性は今までにも存在していただろうが、今回は更にそのメタ次元に位置するGYREでの展示や、その他のギャラリーが「建築」という極めて近いキーワードで同時多発的に展示することによって、よりそのWeb空間的作用が強調されているのではないかと思う。

『建築以前、建築以後』は多くの作品がアンビルドであり、建築が形になるまでの設計プロセス(建築以前)とその建築の最終的な形態とその先(建築以後)を見せる展示内容である。菊竹清則の<海上都市>はメタボリズム的発想で建築以後も、建築以前のプロセスが延々と続いていくような案であるし、伊東豊雄オスロ市<ダイクマン中央図書館>も、フラクタルな図式が完成形として敷地にプロットされたのちも、まだその過程であるかのように感じられる。一方SANAAの<スイス連邦工科大学ローザンヌ校ロレックス・ラーニング・センター>では、そのプロセスを切断して、幾重のスタディ上の一つの結果として提示しているという先に述べた二つの案とは違った印象を受ける。これは西沢立衛の<ガーデンアンドハウス>においても同様である。
また逆に平田晃久の『Flame flame』のアルミピースの集合体は、菊竹氏の<海上都市>のそれと同じようにプロセスと完成形の間であると同時に、それが自然物の持つ絶え間ない成長と変化の過程であるという事が、平田晃久の他の案(植物のひだを用いる等)をみても一貫したコンセプトとして読み取れる。
そしてそれらを意識的に掲示して見せたのが『生成の世代』での藤村龍至である。超線形プロセスによって思考され、過去ログをみせることによって何処で思考プロセスが終了したのか、しかし終了してもなおこの建築が成長していくような両義的感覚を表現しているように思う。
BIMによる設計などその設計プロセスや構造がデジタル化によって不明瞭に(最終的な形態の意味が理解しがたいという意味で、手描きによる抽象性とは違う次元で)なっていく中で、「プロセス」そのものにスポットライトを当て建築の意義を再考していく時代となることを明示する、そんな事を感じさせる展示内容であった。

表参道のGYREの三階にあるEYE OF GYREにて開催中の『ARCHITECT/2.0―WEB世代の建築進化論』を観にいってきた。
本展覧会の位置づけとしては1995年以後の都市状況と建築表現の関係を考えること、またフランス国立近代美術館(ポンピドゥー・センター)で2011年に開催される『ジャパン・アーキテクト展1945-2010』を基に先んじて開催されるものであり、更に現在六つのギャラリーで開催中の『ARCHITECT/TOKYO/2009』と連動している。(六つのギャラリーのメタ展示といってもいいだろうか)

内容はドローイング、漫画から模型など多岐に渡っており、今まで試みられてきた建築分野またはそれを横断するような表現系の総体を示している。


GYRE表参道:設計MVRDV/竹中工務店

先日、南洋堂の洋書セールに行き本を数冊買ったのだけれど、暑さと遠い帰路を考えるとこの重さを背負いながら帰るのは辛かった。重いというのは紙媒体の弱点であると感じた。

最近電子書籍であったり、携帯小説だったりが流行し始めその存在が希薄になると言われている実体としての本であるが、まだまだ等分先の様子ではある。

電子書籍に比べて、本が優位な点は何だろうと考えてみると……


・永久性(電子データではないので消失しない。現に遥か昔の書物も読める。知識は必要……)
・大きさ、全体として見渡せる(今のところ電子書籍は画面が小さく読みづらい。目も疲れるだろう。俯瞰して全体を見渡せるのは大切だと感じる。)
・一つ一つのデザイン性、紙の種類。(これは気にしない人は居るだろうが、気にする人は装丁がお気に入りという事もあるから)
・実体として存在している(電子書籍を読むには、何らかの電子デバイスが必要)
とまぁ挙げていけばまだまだあるかもしれない。書き込みができない等…(しかしこれはすぐできるようになる気がする。が、算数ドリルなどは不可だろうか。きっとやり辛い。)

私に関して言えばニュース情報などの一時的なものは電子媒体で読むという感じにはなっているなと思う。一般的にも定着している気もする。だが、未だに通勤電車の中では新聞を持ったサラリーマンの多い事か……

しかしながらホログラムのようにして本を表示させ読むなんていうことが将来ありえたとしたら、割と以上の電子書籍のデメリットは減るだろう。『電脳コイル』でいう「電脳メガネ」をかけることによって達成するのか、『攻殻機動隊』のように電脳化によって目に直接的に情報を送ってなしえるのかはわからないが。『攻殻機動隊』の世界観は2030年くらいであったからそれほど遠い未来ではない。しかしその世界であっても、紙媒体への執着をみせている者もいる。

そういった技術が可能となってくると建築も箱さえ造れば後は疑似体験的に空間を視覚に表示させて楽しむようなことになるのだろうか。『攻殻機動隊』の中でもプールのある室内の壁面を南国リゾート風の背景にして楽しんでいる姿がうかがえる。

所謂ギミックのようなもので空間を楽しむことの最上級といったところだろうか。
しかしそれはあくまで視覚的な体験であり、決して触れたり匂いを感じ取ったりはできないのが弱点ではある。

デジタル技術の発達によって建築の多様なあり方が模索されている現在、(アルゴリズム、BIMを使った設計又は設計プロセス等)
その進んだ先に待っているのはただの「箱」でしかない建築だとしたら、なんと悲しい事だろうと感じるが。

攻殻機動隊 (1)    KCデラックス

攻殻機動隊 (1) KCデラックス

電脳コイル〈1〉 (トクマ・ノベルズedge)

電脳コイル〈1〉 (トクマ・ノベルズedge)

最近久しぶりにピアノを弾いてみたが案の定指が動かないものだ。
10年以上続けて、手に入れたスキルであったから、弾けなくなっていたということはショックだった。

とは言っても全く弾けないわけではないけど。

できていたことができなくなるというのは悲しいことである。

そもそも何故弾かなくなったかといえば必要がなくなったからである。

現在建築を学んでいるけど、とてつもなく忙しくて(誇張)、やることもたくさんある(これは本当だけどやっているかどうかは別)
そんな中でいつしか心のゆとりが消えて、弾くことを止めてしまった。プラグマティックに物事を考える方であるから尚更弾かなくなった。

建築でも現在伝統的な寺社建築を造る宮大工の技術の継承者が減少してきている。そして一方で新しい建築が生産される。

大学の教育の中でも木造建築に触れる機会も少なくなってきているというし、出される課題は殆ど木造では解かない。

自分に必要のない事と同じで、社会において必要のない事も失われていく。思っている以上に冷酷に。

ピアノは一日弾かないと元の状態に戻すのに一週間かかるなどとピアニストは言う。

継承されることと、最初から始めるのでは大きく違う。断絶された後の復興は難しい。

そっと自分の内に閉じこもっていると、一方では大切なものが徐々に悲鳴をあげて崩れ去っているのかもしれない。

20年以上生きてきたから、普段食べるような食べ物の味は食べる前から大まかにトレースできる。市販されている飲み物に至っては、きっと食べ物より味が分かるし、自分の好きな味を自然と選んで飲んでいる。

初めて訪れる建築に対して抱く感情は、二回目ではどうなるだろうか。

建築において何回も訪れるものとそうでないプログラムがある。(あくまで個人レベルで、そこで働く人は除いて)

自宅なんていうものはもう毎日のようにその空間を体験している。つまり住まうということは、その場所を何度も体験することである。そして建築を造る側の立場からもそう設計されている。私は模様替えなんてするたちではないから、自宅においては何度も同じ空間を噛み締めているのだろう。古くなると味が出るなんていうのはよく言ったものだ。もっと違う味がほしい。噛めば噛むほど味が出るものなんて中々ない。ガムだって噛んでいたら味はなくなる。

住んでいると出てくる「愛着」や「安心」と呼ばれるノスタルジックな味はさておいて、きっと理想の味(空間)をいつだって求めている。

美術館に住んだとしたら何がどう変わるのか知りたいと単純に思った。普段は「鑑賞する」という行為しかしない美術館に、住んでみる。
自宅を図書館みたく本で埋める人は居るけれど、図書館に住むとはまた違った感覚ではないだろうか。

「住む」というプログラムではない場所に住まう。
日常とは違う空間が日常化していく過程にどんな感情の変化があるのだろうか。